重傷の友に代わり、北最上の政争の渦中に飛び込む市兵衛
祥伝社文庫から刊行された、辻堂魁さんの文庫書き下ろし時代小説、『銀花(ぎんか) 風の市兵衛 弐』を紹介します。
算盤侍こと唐木市兵衛が、幼い小弥太と織江の子どもたちを抱える浪人者・信夫平八と知り合いになり、亡き妻の薬代を稼ぐために地獄の生業を続ける平八を斬るところから始まった、「風の市兵衛 弐」シリーズ。
唐木市兵衛と暮らした幼き兄妹小弥太と織江の親戚にあたる金木脩が酔漢に襲われ重傷を負った。柳井宗秀の治療で一命をとりとめたものの、酔漢は実は金木の故郷北最上藩の刺客であることが発覚する。急遽、北最上に奔る市兵衛。そこでは改革派を名乗る一派による粛清の嵐が吹き荒れていた――。
第3弾の本巻では信夫一家の親戚が暮らす北最上を舞台にしています。
「噂ですが、川波剛助と言う番方は、大手門前の宝蔵家の屋敷にしばしば出入りしていたそうです。御側役の万右衛門さまが可愛がって、川波は朋輩らから、御側役の忠犬と呼ばれていたと聞きました」
「忠犬、ですか。しかし、御側役は川波を情容赦なくあの場で斬り捨てられました。それが忠犬に対する仕打ちなら、忠犬も哀れですな」(『銀花 風の市兵衛 弐』P.18より)
小弥太と織江の親戚にあたる金木脩の北最上藩石神伊家では、五中老筆頭・中原恒之が北最上城内本丸御廊下を通りかかったところ、御座の間を警固する番方の川波剛助に突然斬り殺されるという事件が起こります。
私情ではなくお家のために成敗したという川波を、御側役の宝蔵万右衛門は一刀のもとに斬り捨てました。
藩を二分する中原一門と宝蔵一門。中原一門は大黒柱を失い、両一門の確執は、そして北最上家の藩政の行方は?
「唐木さんは、わたしがなぜあなたを呼んでくれるように頼んだのか、なぜ唐木さんにきてほしかったのか、訝しく思っていらっしゃるのでしょうね」
「昨夜、金木さんはわたしに、何か願いがあるふうなことを言いかけました。何かを言う前に、気を失われたのです」
「そ、そうなのです。唐木さんに、お願いがあります。わたしの願いを、頼みを聞いてほしいのです。真っ暗な大川を流され、溺れて死にかけていました。これまでだと、覚悟しました。ところが、漁師に助けられたとき、ふと、唐木さんを思い出したのです。唐木さんにすがればと、思いたったのです。唐木さんしか、頼れる人はいないと、気づいたのです」(『銀花 風の市兵衛 弐』P.53より)
北最上藩江戸屋敷に勤める金木は、御用人頭尾野木彦之助から主君石神伊因幡守隆道の命で、平右衛門町の船宿で秘かに何者かからある物を受け取るように命じられます。
ところが、待ち人が現れる前に、酔客を装った隣の部屋の浪人者たちに斬りかけられ、背中へ一撃を受けて大川に身を躍らせました。
瀕死の重傷を負って大川に漂っているところを、漁師の栄吉に助けられます。栄吉から危難を知らされた市兵衛は、金木を蘭医の柳井宗秀のもとに運びこみます。
宗秀の治療により意識を回復した金木は、市兵衛らに危難の経緯とその背景を説明します。そして市兵衛に、「なぜ自分が狙われたのか、宝蔵一門が中原一門に対して何を企んでいるのか」、石神伊家で起こっていることを調べてほしいと依頼されます。
「金木脩か。気持ちのいい男だった。わたしは気に入っていた。惜しいな。可哀想なことをした」
隆道は、急に女々しく愚痴をこぼした。
「家臣を慮るお優しいお心は、お察しいたします。しかしながら、何とぞ、大事の前の小事と、お考えください。大望を成しとげるためには、泣いて馬謖を斬らねばならぬときはございます。国の政の改革を推し進め、より発展させるためです。旧弊を改め、新しき国を作るのです。それが、ゆくゆくは民のためでもあるのです。おのれらの利権にしがみつく古い勢力を、一掃する時がきたのです。殿さま自ら、おつらい決断をすでにくだされました。のちの世に、隆道さまの御名は石神伊家中興の祖と残ることは必定にて……」(『銀花 風の市兵衛 弐』P.115より)
金木脩の属する中原一門が、徳川幕府のもと石神伊家が北最上の地に入ってくる前から続く土豪です。敵対する宝蔵一門は主君の石神伊家とともに北最上に移り住んだ新参の家臣団で、代々主君のお側近くに御側衆など側近を輩出しています。
本書の面白さは、主君隆道の威を借りて、宝蔵一門が改革派と称して、中原一門を排除しようとして政争を繰り広げていくところにあります。
領内の農業林業を掌握している中原一門に対して、御用達商人豪商の力を借りて、宝蔵万右衛門らは、中原家が徳川家康公から御墨付を許された神室の森を開拓して、紅花畑に作り替えて藩の財政の立て直しを企みます。
「わたしは、信夫平八どのと由衣どのが残した小弥太と織江に所縁ある者です。金木家をお訪ねするのは、わが定め、人の縁と、判断いたしました。幸い、身体は壮健です。どうぞ、わがなすべきことを、お命じください」
(『銀花 風の市兵衛 弐』P.165より)
市兵衛は脩の頼みを聞き、北最上の金木家を訪ねます。そして、粛清されて存亡の危機にある中原一門に助力して、入会地となっている神室の森から恩恵を受けてきた農民らが困窮することから救おうと、藩政を牛耳る宝蔵一門に対抗します……。
女性は、市兵衛と小弥太と織江の様子を見て、戸惑いを浮かべていた。市兵衛に、顔を伏せるような会釈を寄こした。長い束ね髪を肩から背中へ流し、赤紫の小袖に蝶を白く墨絵風に散らし、亀甲文様の中幅紺帯が見えた。だが、その下は灌木に隠れて見えなかった。
(『銀花 風の市兵衛 弐』P.136より)
本書で、市兵衛の前に魅力的な女性が現れます。史乃(ふみの)です。脩の兄で金木家の当主清太郎の妻・沢乃の姉で、半年余前に嫁ぎ先と折り合いが悪く実家へ戻っていました。金木家に嫁いで臨月が近くなった沢乃の身の回りの世話や手伝いのため、金木家へ来ていました。
物語が進むに従い、史乃の存在感が増していき、二人の関係も気になります。
「唐木さんほどの方が、なぜ、今のような生き方をなさっておられるのか、わたしは、どうしても解せぬのです。唐木さんは、人の上に立ち、世のためにもっと大きな仕事ができる方だ。(後略)」
(『銀花 風の市兵衛 弐』P.335より)
登場人物の一人が市兵衛に言ったことばと、それに対する市兵衛の答えが、本書のテーマを表していて、他の作品とは違う本シリーズの面白さにあるように思います。
北最上藩石神伊家は架空の設定ですが、本書巻頭に掲載されている地図を見ると、出羽国新庄藩がモデルになっているようです。
◎書誌データ
『銀花 風の市兵衛 弐』
出版:祥伝社・祥伝社文庫
著者:辻堂魁
カバーデザイン:芦澤泰偉
カバーイラスト:卯月みゆき
初版第1刷発行:2018年8月20日
690円+税
339ページ
文庫書き下ろし
●目次
序章 忠犬
第一章 大川
第二章 羽州街道
第三章 江戸の男
終章 無用の用
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『銀花 風の市兵衛 弐』(辻堂魁・祥伝社文庫)