鳴神響一(なるかみきょういち)さんの文庫書き下ろし時代小説、『猿島六人殺し 多田文治郎推理帖』が幻冬舎文庫より刊行されました。
著者の鳴神さんは、『私が愛したサムライの娘』で第六回角川春樹小説賞を受賞しデビュー。壮大なスケールで、スペインに渡った日本人のサムライを描いた歴史エンタテイメント『天の女王』や、伝奇色が色濃い「影の火盗犯科帳」シリーズなど、その活躍が目覚ましく、注目の時代小説家の一人です。
浪人者の多田文治郎は江ノ島・鎌倉見物のあと足を伸ばした米ヶ浜で、浦賀奉行所与力を務める学友の宮本甚五左衛門に出会い、対岸の猿島で起きた殺しの検分に同道してほしいと頼まれる。甚五左衛門が「面妖な事件」と評したことに興味をそそられ、承諾した文治郎。酸鼻を極める現場で彼が見たものとはいったい……?
本書は、これまでの作品でも物語に謎解きの要素を盛り込んできた、著者が挑んだ本格時代ミステリーです。
主人公の多田文治郎は、ただの浪人者ではなく、後に沢田東江(さわだとうこう)の名で、書家として、漢学者、儒学の碩学として、また、洒落本『異素六帖』の戯作者としても世に知られることになる、江戸の知識人です。
物語では、まだ二十六歳で、神田川の河口に架かる柳橋のたもとに住んで、書を教えて得た稼ぎを注ぎ込んで吉原で派手に遊んでいたことから、「柳橋の美少年」ともてはやされた、無名の浪人者に過ぎません。
鳴神さんのファンには、「影の火盗犯科帳」シリーズで、火付盗賊改方頭山岡五郎作景之と懇意していて、難事件の解決を助ける主要な脇役として知られています。
さて、事件が起こった猿島(さるしま)は、横須賀の対岸にある無人島。現在は猿島公園として整備され、観光船で渡れます。
無人島である猿島に建てられた寮に集まった六人。
大身の旗本の隠居、松平玄蕃。
浪人の杉本右近。
囲碁棋士で林家七世家元の林転入門入。
歌舞伎役者の二代目大谷廣次。
京橋の八百物問屋「常磐屋」の妾、タカ。
そして、寮で五人の客をもてなす、寮の所有者の銚子の廻船問屋外川屋の手代、佐吉。
五人は、食せば直ちに身体が軽くなり、不老不死の生命を得るといわれる妙薬「太歳(たいさい)」を求めて、秘密を守るため、供も連れずに単身で寮にやってきて凶行の被害に遭います。
外部から人が近づけない孤島で起きた凄惨な事件。
ある者は火の気のない部屋で焼き殺され、またある者は矢で射殺され、またある者は密室で殺され……。そして、最後は佐吉を含む六人すべてが殺され、生存者なしに。
「ここに着いてから、タカが死ぬまでのすべてを綴ることができた」
一刻ほどの後、わたしは独り言を口にして筆を置いた。
「わたしが誰一人として、人を殺していないことは、この手記で明らかになる」
手記が、少しでも公儀の役人への申し開きの助けとなることを願う。
(『猿島六人殺し 多田文治郎推理帖』P.151より)
一人ひとりの殺し方が独創的で、ダイイングメッセージがあったり、事件の鍵を握る人物の独白ともいうべき手記が発見されたり、いろいろなトリックが仕掛けられていて、名作の本格推理小説のように、物語に引きつけられていきます。
殺人犯が全くわからない、この「面妖な事件」を、博覧強記の知識人、多田文治郎はいかに解き明かすのか?
そして、明らかになっていく、殺人の動機。そこにもドラマがあります。
「謎を解く鍵は人の心よ」
「なるほど」
「怨みか、怒りか、それとも憎しみか、あるいは恐れなのか、凶行の裏には必ずや、追い詰められた人の思いがあるはずだ。それを見つめなければ謎は解けぬ。(略)」
(『猿島六人殺し 多田文治郎推理帖』P.331より)
この作品の面白さの一つは、実在した江戸の文化人の多田文治郎(後の沢田東江)が探偵役を務めるほか、松平駿河守信望、柳生主水正久隆、林門入、二代大谷廣次ら実在の人物が登場します。
幕府の目付として稲生下野守正英(後に勘定奉行)が文治郎と関わっていきます。
本格的な推理小説が満喫できて、文治郎の活躍も楽しみで、シリーズ化してほしい時代ミステリーの誕生です。
■Amazon.co.jp
『猿島六人殺し 多田文治郎推理帖』(鳴神響一・幻冬舎文庫)
『私が愛したサムライの娘』(鳴神響一・ハルキ文庫)
『天の女王』(鳴神響一・エイチアンドアイ)
『影の火盗犯科帳(一) 七つの送り火』(鳴神響一・ハルキ文庫)