GWの静岡の旅2日目は、東海道線の掛川駅から3つ目の島田駅へ。
東海道五十三次では、日坂、金谷と江戸に向けて戻り、23番目の宿場、島田宿ということになります。
島田市の観光といえば、大井川鉄道のSL(6月から10月の期間限定で「きかんしゃトーマス号」も運行)と蓬莱橋が有名です。
今回はどちらもパスして、島田市博物館と隣接する大井川川越遺跡(おおいがわかわごしいせき)を見学。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と謳われた、東海道の難所の歴史を少しだけ勉強してきました。
大井川川越遺跡は、「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現した史跡です。
大井川を渡るには、川札(人足一人を雇うために札一枚が必要)を川会所で買い、川越人足に手渡してから、肩車や連台に乗り川を越しました。
この川札の値段は、毎朝、水の深さによって定めました。水深は「股通」とか「乳通」と呼び、「股通」の場合は川札一枚が四十八文でありました。「脇通」四尺五寸(約136センチ)を超すと川留めになりました。
平岩弓枝さんの『はやぶさ新八御用旅(一) 東海道五十三次』でも、大井川川越の場面が描かれています。
新八郎達が大井川へたどりついた時、川越えの業務を扱っている川会所の前に出ている木札には、只今、人足代七十文とある。
普通、男は人足の肩車、女は連台と決まっているので、新八郎がその賃金を払おうとすると駕籠を下りてついて来た稀世が、
「どうぞ、御一緒にお願い申します。一人では怖くて……」
という。
遺跡には連台の実物も展示されていて、増水時に連台に乗るのは確かに怖い感じがしました。
なお、島田市博物館では、「大井川、島田宿、川越し」を紹介する常設展示のほか、毎年毎年9月第3日曜に開催される「島田髷まつり」に関する展示もあります。
江戸時代の女性の代表的な髪型で、多くのバリエーションがある「島田髷」は、島田がルーツといわれています。島田出身とも伝えられる遊女、虎御前が考案したともいわれています。
虎御前は、曾我兄弟の仇討で有名な兄の十郎祐成の恋人として知られています。
思い思いの島田髷を結い上げた、揃いの浴衣姿の数十名からの若い女性たちが、手踊りをしながら市内を練り歩く、このおまつりは何とも華やかでフォトジェニックです。祭の時期にも訪れたくなりました。
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『はやぶさ新八御用旅(一) 東海道五十三次』(平岩弓枝・講談社文庫)
『曾我兄弟の密命―天皇の刺客』(高橋直樹・文春文庫)