誉田龍一(ほんだりゅういち)さんの文庫書き下ろし時代小説、『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』がコスミック・時代文庫から刊行されました。
次期将軍の第一候補者でありながら、権利をあっさりと放棄した、上州館林藩主松平清武。清武は、三代将軍家光の孫にして六代家宣の実弟という血筋で、直系男子であった。
が、七代将軍家継が危篤に陥った折、年齢や藩政の実績を理由に将軍就任を拒み続ける。これには、清武の真意があった。城に居ては庶民の目線を失う。長屋に暮らしながら悪人退治をしたかったのである。
紀州徳川家から迎えた八代将軍吉宗を市中から支え、享保の改革の片棒を担いだ清武……。
これまで多くの時代小説を読んできたが、家光の孫、家宣の実弟・松平清武を主人公にした作品は読んだことがありませんでした。有資格者に思われるのに、なぜ、将軍に就かなかったのか、疑問が湧いてきます。
「わたしが再興させた折の館林藩のことはよく存じておられるはず」
天英院が少し目をそらした。
清武も畳に目を落とすと、再び顔を上げた。
「四十四で松平の姓を初めて賜りました。それまでは、姉上もよくご存じのとおり、甲府藩家臣の越智喜清に育てられ十八の時から越智の家を継いでおりました……」
(『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』P.56より)
七代家継が危篤に陥った際に、家宣の正室天英院は八代将軍の候補として清武を推したといいます。清武が家継の叔父であり、血統的に最も近かったのが理由です。
しかしながら、この時、清武は五十四歳という年齢と、家臣の越智家の家督を継ぎ、四十四歳の時に松平姓を許され、館林藩主となった経歴が将軍にふさわしくないということで拒んだといわれています。
本書では、将軍職への野心よりも庶民の目線を大切にする時代ヒーローとして描かれています。どのような活躍ぶりを見せるか、大いに食指が動く物語の始まりです。
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『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』