植松三十里さんの『不抜の剣(ぬかずのけん)』(エイチアンドアイ)を読みました。
本書は、幕末江戸三大道場の一つ、神道無念流練兵館の道場主斎藤弥九郎の波乱に満ちた生涯を描いた長編歴史時代小説です。弥九郎は、「位は桃井」(鏡新明智流・士学館)、「技は千葉」(北辰一刀流・玄武館)と並び、「力は斎藤」と称される剣豪で、長州藩の桂小五郎、高杉晋作、井上聞多、伊藤俊輔、品川弥二郎などを練兵館から輩出しています。
と聞くと、並外れた剣豪のように思われますが、弥九郎を主人公にした剣豪時代小説はすぐには思い浮かびません。なぜだろうと気になっていた疑問が本書を読んで氷解しました。「抜かずの剣」と題名に付けられているように、弥九郎は生涯ただの一度も人に対して真剣を抜かなかった稀代の剣豪でした。
三年間の江戸修業を終えて長州に帰国する愛弟子・桂小五郎に対して、弥九郎は次の言葉を贈ります。
「生涯、刀を抜くな。そなたは、この練兵館の塾頭まで務めた男だ。その力量で刀を抜けば、間違いなく相手を倒す。だが人を斬れば恨みを買う。恨みを買えば、足をすくわれ、命をねらわれ、力を発揮できなくなる。それゆえ、どんな時にも刀は抜いてはならぬ」
「でも、どうしても抜かねばならぬ時は?」
「その時は逃げろ。少しでも危ういと感じたら、とにかく逃げ切れ」(『不抜の剣』P.296より)
かねてから桂小五郎について、練兵館の塾頭を務めたほどの剣の遣い手のはずなのに、池田屋事件をはじめ、危難に遭うと逃げに徹していることに奇異に思っていました。弥九郎との約束を守って、「逃げの小五郎」と侮られても耐え忍んでいたことがわかり、改めて偉い人物だと思いました。
さて、物語では、剣豪としての弥九郎の活躍ぶりよりも、練兵館の道場主のかたわら、韮山代官・江川太郎左衛門の腹心の家臣として、激動の幕末に、江戸の治安と海防に心血を注ぐ姿に力点を置いて描かれています。その最前線にいた弥九郎を通して、歴史のダイナミズムが伝わってくる、幕末を意識できる小説になっています。
血気盛んな太郎左衛門と二人、刀売りに扮して、博徒が横行して治安が乱れる甲州を隠密行するエピソードも紹介されて、活劇好きも楽しめます。
また、越中国仏生寺村の農民の子として生まれた弥九郎が江戸へやって来て、岡田十松の神道無念流撃剣館の入門するまでのストーリーの波瀾万丈ぶりが面白かった。千野隆司さんの『出世侍』(幻冬舎時代文庫)の主人公・藤吉とオーバーラップしました。
撃剣館に掲げられた「神道無念流稽古心得」に、「天下のために文武を用いるは、治乱に備えるなり。一治一乱は世のならわしなれば、治にも乱を忘れずとこそ」とあり、江戸にやってきたばかりの若者・弥九郎の心を捕らえます。
そして、「武は戈(ほこ)を止めるの義なれば、少しも争心あるべからず」ということから武術の本来の意味を悟った弥九郎は、人生訓としていきます。剣術家を超えて幕末維新で活躍する人材を育てた、弥九郎の活動がこの言葉で腹落ちします。
物語の終盤で、木戸孝允と名を改めた小五郎が、隠棲していた師の篤信斎(弥九郎)を訪ねて、表舞台に戻すために説得するシーンが感動的で、心地よく読み終えることができました。
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『不抜の剣』
『出世侍(一)』(千野隆司・幻冬舎時代文庫)