北重人さんの『汐のなごり』は、出羽の架空の町・水潟を舞台にしています。この町は自然や湊町の風景ばかりでなく、風習や気質の面でも酒田をモデルにしていることが伝わってきます。
「塞道の神」では、小正月に行われる塞道の祭りが描かれ、幕見のことにも触れられています。
塞道の祭は、朝未き、太鼓と町内への呼ばわりで始まるのである。
小路の辻に出ると、男たちが数人、長い黒板塀に大きな幔幕を張っていた。幕見の幕である。源平の合戦や大江山の鬼退治などを描いた幔幕が町内ごとに張られる。市中の者や近在から出て来た者がそれらを見物して廻る。それを幕見と称していた。
(「塞道の神」P.215より)
また、酒田は北前船の寄港地であり、幕府や諸藩の米の廻米にも関わっていたこともあり、米会所がありました。
当時水潟では、あちこちで相場が張られていた。公許の帳合米相場は米会所の市場だけなのだが、相場好きが多く、それぞれの身代に合わせて相場を張るのである。
まず、合百という相場があった。
(「合百の藤次」P.292より)
「合百の藤次」は、その帳合米相場で身代を賭けて相場を張る男たちが描かれています。享保期に登場した本間宗久は酒田の米商人で、米相場で莫大な富を築き、本間家の勃興を支えた人物です。彼が考案したという「酒田五法」は現在でも株の売買などで有効といわれています。
本間宗久 - Wikipedia
酒田の町を訪れてみたいと思いました。
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