信原潤一郎(のぶはらじゅんいちろう)さんの『天涯の声』を読んだ。信原さんは『鬼の武士道』『龍馬の恋人』『紀州連判状』など、スケール感があり面白い時代小説を発表してる、今注目している作家の一人である。
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『天涯の声』は、文政四年(1821)に起きた南部浪人下斗米秀之進(しもどまいひでのしん、後の相馬大作)による弘前城主津軽寧親(つがるやすちか)襲撃未遂事件を題材にしている。津軽家十万石と隣する南部家との間には、このときまで二百四十余年にわたる確執があった。天正十八年(1590)、南部家から津軽目代として派遣された家臣の大浦為信が反旗をひるがえし、主家・南部家の領土である津軽地方を横領し、豊臣秀吉に申し出て朱印状の交付を受けたことに端を発している。このとき為信は姓名も津軽右京亮と変えた。
下斗米秀之進の事件の背景には、この確執から発展した津軽家の南部家への挑発があった。津軽寧親が激しい猟官運動の末に、従四位下の官位を正四位の侍従となり、<柳の間詰め>から<大広間詰め>に昇進したことで、南部家当主・利敬が「もともと、わが家来筋の者が、わしと同格に!」という不愉快な思いから憤死する。利敬のあとを継いだ利用(としもち)は、十五歳で従五位下であったから、津軽寧親よりも四階級の隔たりがあり、はるか末席に座らねばならない。この屈辱に南部藩士たちを激昂させた。利敬に仕えて、憂国に目覚め武術修得への志を抱いて藩を辞して、請武実用流の流祖で武芸十八般に通じた平山行蔵に弟子入りした秀之進もその一人。
秀之進は、恩顧を受けた旧主に応えようする気持ちに燃え上がり、参勤を終えて弘前に帰る津軽寧親を秋田と津軽の領境の矢立峠で待ち伏せして、竹鉄砲で威嚇して隠退を強要しようと企てる。しかし、襲撃に加えた一味の一人の密告で謀計は失敗に終わる。これが後に「檜山騒動(ひやまそうどう)」と呼ばれる相馬大作の起こりである。(ネタばれになるので結末はご容赦を)
秀之進の心持ちと行動をみると、赤穂浪士による「忠臣蔵」や佐伯泰英さんの『御鑓拝借』の主題とも通じる。ドラマ性が高く、そのまま描いても面白い物語になりそうな感じがするが、舞台が北辺のせいか現代人にはわかりにくい設定のせいか、最近の時代小説では描かれることは少ない。そんな中で「檜山騒動」を正面から取り上げたこの作品の価値は高い。
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『天涯の声』の主人公は、秀之進ではなく、秀之進の弟弟子にあたる剣の遣い手の胆沢恭二郎(いざわきょうじろう)。恭二郎は、将軍家への御目見えをするために江戸入りを若殿・利用を護衛して江戸までの百三十九里を旅する。一行を襲撃する津軽家の刺客たちとの戦いにハラハラドキドキし手に汗握る面白さがある。恭二郎の恋人・美世の存在も、チャンバラや政治抗争だけではない、物語に魅力を加えている。間違いなく最近の傑作の一つ、もっと、信原さんの作品を読みたくなった。