ピカレスクでなく、爽快な股旅小説

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『草笛の音次郎』を読み終えた。江戸市井小説を得意とする山本一力さんが股旅を書くというので意外な感じがして、読む前はどんな展開になるのか、山本さんの読み味のよさがそこにもあるのか半信半疑だった。

しかし、読み始めると、物語の世界に引き込まれ、主人公の渡世人の若者、音次郎に共感を持ちながら、その成長ぶりに心が満たされていった。読了後も爽快感が残った。

股旅ものという、縞の合羽に三度笠がトレードマークで、清水の次郎長や木枯し紋次郎というヒーローが出てきて、時代小説の一ジャンルとして人気を博していたが、最近は仁義や任侠という言葉が時代遅れで、かつ教育上もよろしくないせいか、作品はめっきり少なくなった。

文芸評論家の関口苑生さんの解説によると、股旅という言葉は、作家の長谷川伸さんが昭和四年に発表した戯曲『股旅草鞋』が最初で、明治期の人が口にしていた「旅から旅を股にかける」からとった言葉だそうだ。

『草笛の音次郎』は、渡世人の若者音次郎が、親分の恵比須の芳三郎の名代として、佐原宿の小野川の好之助のもとを訪ねるという話が決まるところから始まる。音次郎は、深川黒江町に母およしと二人暮らしで、渡世人稼業でありながら、今戸に住む芳三郎のところに通いを続けていた。

音次郎は十歳のときから、母が賄い婦として勤める瓦版の版元の宿で住み込み奉公を続けていたが、二十歳のときに博打にはまった。しかし、それが原因で身を持ち崩したのではないが、同僚から借りた金が店の売り上げに手をつけたものだったことから、母子ともに暇を出された。音次郎は賭場に出入りするなかで、芳三郎の代貸を務める源七の器量の大きさに惹かれて、下働きとして使ってもらうように頼み込んだのだ。

悪事を働いてやむなく渡世人になったのではなく、自ら飛び込んでいったのだ。こうした経緯もあり、音次郎の言動には後ろ暗さがまったくなく、明るい性格で人を包み込むような優しさをもっている。親分や大店の主、役人と対しても卑屈になったり、逆に突っ張るようなところが見られず、多くの人から好感を持たれやすい。

音次郎は、旅はおろか江戸を出るのがまったく初めてということで、旅のしょっぱなから失敗の連続で、ハラハラしながら読み進めることになるが、旅先でいろいろな人と出会い、試練を経て、渡世人として成長していく。

山本さんの作品では、要所で、器量のある大人が出てきて、主人公にアドバイスやサポートを与えることが多い。この作品でもそんな人生の先達となる素敵な大人が出てくる。そういえば、『大川わたり』にしても『あかね空』にしても、出てくるやくざの親分は悪辣非情なだけの人物ではなく、ひとかどの見識をもった大人であった。

草笛の音次郎 (文春文庫)

草笛の音次郎 (文春文庫)

大川わたり (祥伝社文庫)

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あかね空 (文春文庫)

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