宇江佐真理さんの『あやめ横丁の人々』を読み終えた。ささやかだけで居心地のいい大切な場所を失ったような喪失感というか、素敵な夢から覚めてしまい、いつもと変わらない現実に直面したときのような思いがする。
婿入り祝言の場で新婦を相愛の仲の奉公人に奪い去られて激昂して男を斬り殺してしまう主人公紀藤慎之介。残忍なことだが、女敵討ち(めがたきうち)として、江戸時代には認められたことでもあった。しかし、その後新婦が自害したため、一人娘を失った新婦の父で幕府の小姓組頭を務める笠原源太夫は激怒して執拗に慎之介の命を狙うことに……。
殺伐とした異常な発端から物語は始まり、慎之介が逃げ込んだ先も「あやめ横丁」という可憐な名前に関わらず、とんでもない住人たちが住む不思議な場所だった。(あやめ横丁の本当の意味もやがてあきらかになる)
世間知らずの大身旗本の三男坊の慎之介は、岡っ引きの権蔵、葉茶屋の女主人おたつとその娘でおきゃんな伊呂波、貸本屋の新造お駒など、あやめ横丁の人々と助け合って生きていくうちに、人として一番大切なことは何かを知る。
宇江佐さんは、『斬られ権佐』で「おっこちきる」(恋仲になること)という江戸の言葉を紹介したが、本作品でも「ほめきざかり」(色気づいた男女のこと)、「ぽっとり新造」(太り肉で色っぽい女性を指す)、「雷の病」(着たきり雀のこと)、「あさがら婆」(死にぞこないの婆のこと)、「あとみよそわか」(忘れ物をしないためのまじない)などが紹介され、慎之介と一緒に覚える形になる。
本所の市井は、旗本の子弟を育てる場なのだろうか。『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵も若いころ、本所界隈で無頼な生活を送り「本所の銕(てつ)」とかいわれて、社会勉強をしたという。下級幕臣の屋敷と町人の住む長屋が多く集まる本所にはこんな話がよく似合う。
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