千野隆司(ちのたかし)さんはお気に入りの時代小説作家の一人。『札差市三郎の女房』や『江戸仇討模様 永代橋、陽炎立つ』『逃亡者』など、サスペンスに満ちた物語や、江戸の市井をしっかりと描いた作品でバツグンの腕の冴えを見せる。
「南町同心早瀬惣十郎捕物控」シリーズも、作者のストーリーテラーぶりが堪能できる捕物小説である。『夕暮れの女』『伽羅千尋』に続く『鬼心』も期待感が高まる始まりだった。
おあきは、浅草御門近くで、顔見知りの和泉屋の女房お光が駕籠ごと二人の賊にかどわかされ、それを追いかけようとした岡っ引きも賊の一人に刺殺されるのを目撃してしまう。おあきは雪が降りしきる中、身重の体でありながら、駕籠を追うが……。
このシリーズの魅力の一つが、主人公の南町奉行所定町廻り同心・早瀬惣十郎と妻の琴江の関係が生活感のある形で描かれていること。九年前に、許婚がいて祝言の日取りも決まっていた琴江を強引に貰い受けた惣十郎。だが、二人の間に子どもは授からなかった。
夫婦仲は悪くはなかったが、五、六年と歳月が過ぎると、互いの存在が水のように淡くなった。そして、その頃から惣十郎が定町廻り同心として脂が乗り多忙になる。夫婦の会話が噛み合わなくなり、上の空で話を聞いて約束事をいくつも破りその都度琴江から苦情を言われるようになる。やがて、その苦情もなくなり惣十郎の仕事を理解してきたのかと思っていたら、あるとき思いがけない溝ができているのに気づき愕然とする。
親を亡くした子どもたちの世話を親身にしていた琴江が、養子に選んだのは、惣十郎の又従兄の三男で、早瀬一族の中で最も鼻つまみの悪童・末三郎だった。八歳ながら貧相な体つきで二つ下にしか見られない少年。法事の席で四半刻もじっとしていることができず、平気で供え物の饅頭に手を出す。目を離すと棺桶の蓋を開けて石を詰め込む。
食い意地が張っていて意地悪。弱い者いじめも平気。強く出ると泣き叫んで、我を通そうとする。手習いを教えてもすぐに飽きてしまう。いたずら、悪たれ、嘘つきも数限りない。この末三郎少年の悪ガキぶりが物語に何ともいえない面白さを加えている。
さて、『鬼心』の続きを読もう。
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