進化・深化・親化する「慶次郎縁側日記」

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北原亞以子さんの『隅田川』を読んだ。「慶次郎縁側日記」シリーズの第6弾にあたる本書。先に読んだ家族の評では「面白くなくなった」と聞き、「あれ? そんな筈は……」と思い、読み始めた。

本書で描かれるのは、筆屋で万引きを繰り返す少年たち、商人の財布を置き引きする男、子どもの万引きを手伝う母親など、世間を騒がすような大事件や凶悪犯罪ではなく、小さな出来事ばかりである。「一炊の夢」では犯罪する描かれていない。普通の人でも、日常生活の中で、ふとした心のすきや揺れから起こるかもしれないことが描かれている。派手な捕物話を期待すると肩透かしを食うことになるかもしれないが、市井の人情や心の機微を堪能でき、読みどころが多い。

森口慶次郎の跡をついで、定町廻り同心を務める養子の晃之助が、いよいよ養父の慶次郎ばりの「仏の旦那」に似てきた。そう思って読み進めていたら、「双六」の章で、次のような箇所があった。

駒次郎は独り言のように呟いた。

「何不自由のねえ暮らしをしてなすっても、仏と言われるようなお方でも、人の寿命だけはどうにもならねえんだと、なんだかお気の毒になったものです」

「そうか」

 今の言葉を慶次郎が聞いたら、苦笑いするだろう。いや、それよりも、もし八千代が攫われて無残な姿で見つかったとしたら、自分は耐えられるだろうか。

 答えはすぐに出た。

「耐えられぬ」

 晃之助は、役目を忘れて八千代の命を奪った者を探すにちがいなかった。寝ることも食べることも考えず、阿修羅のような姿で、ただひらすら八千代の敵を探す筈であった。見つけ出した時は、斬る。敵の男に八千代のような可愛い娘がいようと、皐月のように貞淑な妻がいようと、容赦なく斬り捨てる。

晃之助が愛するものを命を賭けて守ろうとする親になったことで、作品に一段と深みが加わった。登場人物たちの成長とともに「慶次郎縁側日記」も進化を続けていく。今後の展開がますます楽しみになった。

隅田川―慶次郎縁側日記 (新潮文庫)

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