本書は、十五人の将軍の死因を中心に綴られたユニークな徳川将軍史でもあります。
著者の篠田達明さんは、整形外科医にして作家、現在は愛知県心身障害者コロニー・こばと学園園長を務められています。
将軍にとって、もっとも大事なつとめは政務でも軍務儀式でもなく、ひたすら子作りに励むこと。将軍たちの設けた子どもの数と寿命の長さは彼らの健康のバロメーターであったこと。初代家康、十一代家斉、十五代慶喜など長命で、とくに家斉は十六人の側室を抱え、五十七人の子どもをつくり、将軍家のもっとも大切な役割をまっとうしたといえます。
公家の世界を知り、江戸の女性たちのことも心得た春日局は、将軍家の血統を維持するために、将軍の正室には出自の確かな公家や宮家の娘、側室には健康な庶民の娘、という大奥の二本立て方式を整えたといいます。
徳川の夫人たちが子女を生んでも、江戸時代の市中の衛生状態は劣悪で、乳幼児の早世が多発しました。筆者は、その原因の一つとして、白粉による鉛毒を指摘しています。
将軍家をはじめ、大名や公家などの上流階級の乳母たちは、鉛を含んだ白粉を使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚く塗っていた。抱かれた乳幼児は乳房を通して鉛入りの白粉をなめる。鉛は体内に徐々に吸収され、貧血や歯ぐきの変色、便秘、筋肉の麻痺、脳膜の刺激症状など、鉛中毒が起こる。
それが原因とは言い切れませんが、九代家重や十三代家定のように、重度の脳性障害が出ています。筆者も書いていますが、重度の障害者でありながら、差別なく受け入れ、将軍位につけた事実は特筆すべきことです。
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『徳川将軍家十五代のカルテ』(篠田達明・新潮新書)