『神田堀八つ下がり―河岸の夕映え (徳間文庫)』に収録された「浮かれ節――竈河岸」は、ハートウオーミングなお話だ。主人公の三土路保胤(みどろやすたね)は、幕府の小普請組に所属する御家人で大の端唄好き。非役で三千石以上の旗本を寄合(よりあい)と呼び、それ以下で非役の旗本・御家人を小普請という。
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「その方、この間、お客様と一緒に増田屋に見えたそうですよ」
るりはさり気なく話を続けた。
「え、そうなのかい? だったら、ちょいと聞きたいものだったなあ。親父殿は何もおっしゃらなかったんで気がつかなかったよ」
三土路は未練たらしく言った。
「お父っつぁんも、お前様をお呼びしたい様子でしたけど、あいにく次の日が逢対日になっておりましたので遠慮したのですよ。万が一、御酒でも残ったら、いけませんし」
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上記は、三土路と妻のるりの会話。るりは柳橋の料理茶屋「増田屋」の娘で、三土路の美声を聞いて、見初めたという。後半の三土路と都々逸扇歌の都々逸対決は見どころ。
逢対日(おうたいび)とは、月の半ばと末日に自宅で待機している小普請組の話を小普請組支配役が聞く日のこと。他のお役目に空席ができたときは推挙してもらうためである。役職に就くためには賄賂が必要で、小普請の家が苦労して集めた金を支配役が横領するという悲劇がいくつかの時代小説の中で描かれてきた。
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